2017年09月/ 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

--.--/--(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2013.05/20(Mon)

稽留流産

実は、妊娠していました。
タイトルの通り、残念ながら繋留(けいりゅう)流産です。
稽留流産とは、お腹の中で赤ちゃんが死亡したまま、流れ出ずに子宮内に留まっている流産をいいます。
掻爬(そうは)手術といって、字の通り、子宮から赤ちゃんやそれに付帯する絨毛などの組織を掻き出す手術が必要です。

自身、2度目の自然妊娠、不妊治療中を含むと3度目の流産、初めての繋留流産です。
そろそろ2人目をと考えていて、今は自然に任せてみて、それで妊娠できなかったら秋頃から不妊治療に通おうか・・・と、ダメモトでチャレンジしてみて、なんと2ヵ月目のことでした。
でも、妊娠に気づくのは少し遅かったんです。
生理不順にはあまり縁なく、昔から順調だったのですが、この半年の間に変な生理が4回あったんです。
10月11月12月と、予定日に生理は始まるけど、2日間で出血が止まり、1週間後に続きが始まって4~5日で終わるとゆう、変な生理。
1月は普通にきて、2月はまた1週間の中休みのある変な生理。
そして3月は16日に始まり、普通に終わった。
子宮頸がんとかかなぁ・・・と、検診に行くつもりでいました。
が、4月中旬頃から、体がカッカして火照って火照って暑いのなんの
普段は熱いものや辛いものを食べても汗ばみもしないのに、なんか汗が出る出る
体が、なんかおかしい。。。
それもそうで、4月は少し早く、12日に生理が始まった。
そして2日間で終わったけど、1週間経っても続きが始まらなかった。
変な生理、それにこの異常な熱さ・・・もしかして、更年期l
いや、きっとそうに違いない。
とにかく病院に行かなくては・・・と、思って過ごしていたのです。

そして異変に気付いたのは4月25日。
横浜でストロベリーブッフェの時()に、食べたい気持ちに食が全く伴わなくておかしな感じがしたことで、もしや・・・と、思った。
その夜、温泉からの帰り、オカンに更年期かもと打ち明けながらも、胃を手で揉まれるようなムカムカ感があったけど、きっと2日間に渡る暴食のせいだと・・・
でもなんか、まるでつわりっぽい・・・と思った。

翌朝、4月26日。
そんな訳ないよな・・・の気持ちで、古いけど家にあったボンの時の妊娠検査薬を試してみる。
なんと、バッチリ陽性
暑いのは更年期じゃなくて高温期やったんやと納得。
12日から2日間の出血は、着床出血、または生理様出血とゆうやつだったのかな。
でも、心拍を確認するまでは手放しで喜ぶなんてことはできなかった。
卵質の悪い私が自然妊娠した赤ちゃん・・・ちゃんと育つだろうか
不安は大きかったけど、凄く嬉しかったト

4月27日。
ボンを出産した産院に妊娠判定に行った。
まさかの・・・・・
この産院にて2度目の『妊娠されていますが胎嚢がまだ見えません。』
5年前の5月と同じだった。
でも私は5年前の私ではなかった。
先月の生理が16日に始まっているので、この日で既に5周目最終日。
心拍はまだ微妙な頃にしても、胎嚢は見えないとチョット先々が危ういケースが多い。
そんなことから、この日から覚悟していたんです。
先生は、排卵が1週間から10日ほど遅れていたんでしょうと言ったのですが、体温も測らず、排卵検査もせず、自分の体の感覚だけで『今日っぽい』と思った日とその2日後にチャレンジしただけなので、排卵が1週間も遅れていたとしたら、そもそも妊娠できた可能性があったのかどうかさえ疑問。
5年前のように、突然出血して流れてしまうんだろうな・・・
また化学的流産に終わるんだろうな・・・と、この日、覚悟しました。
それでもつわりは始まっていて、ボンの食べているおにぎりせんべいのニオイにムカムカ。
つわりはしんどいけど、一緒に過ごす時間が短いかもしれない赤ちゃんが、今送ってくれている数少ないサインの一つなので、愛しく受け止めて頑張っていこうと思いました。

4月28日。
つわりが更にキツく。。。
パパとJJがボンをしあわせの村に連れて行ってくれていたので、その間ゆっくり横になることができた。
そして私にはまずやらなければならないことがあった。
ボンの卒乳。 
先日、断乳の様子()を記事にしましたが、実はこの妊娠の為だったんです。
もうすぐ1ヵ月になろうとしますが、卒乳できたようです。
この断乳を皮切りに、ボンには我慢させることばっかりでした。
毎日のように遊びに行くこともできなくなったし、来年3月までのベビースイミングも一緒に入ってあげられない。
ボンはいつも飛び乗ってきたりするので、走って突進してきただけでも物凄く怒鳴ったり、そうしたら叩かれるって覚えさせようと、叩いてやめさせようとしたり。
今思うと、こんな怒ってばっかりのママのところに赤ちゃんは生まれたくなかったのかもしれないなぁ・・・って。
それに、妊娠したことでボンのお世話や遊びが制限されて、ボンが可哀想可哀想って、そればっかりで。
流産に終わる予感があっただけに、赤ちゃんの誕生を喜ぶよりもっと、ボンにゴメンねって思ってた気持ちの方が強かったように思う。。。

4月29日。
ウチのジィバァがボンを公園に連れだしてくれたので、今日も助かりました。
ボンの元気が、手に負えなくなってきて申し訳なくて、本当に心身ともに辛い。

4月30日。
午前中は幼稚園だったけど、朝から雨だから、今日はどのみちお外遊びはできない。
天気がいいと、天気がいいのに外で遊んでやれない自分を責め、家の中で遊んでいるボンを見て申し訳なくなっていたから、行きたくても外に行けないこんな雨の日は、なにか凄く自分に安心した。

5月1日。
気力を振り絞り、大阪までトミカ博へ。
ここ最近の罪滅ぼしの思いでした。

4月4日。
少し出血あり。
とうとうキタのかと思ったけど、ほんの少しだった。
そりゃあ、できることならちゃんと生まれてほしいけど、妊娠学的に厳しいと思っていたので、流産したくない反面で、いつ始まるのかと、トイレに行くたび冷や冷やというよりは、まだ大丈夫まだ大丈夫と、いずれ出血するのを待っていた感じもありました。

5月5日。
ジィジと甥ニィがボンをしあわせの村へ連れて行ってくれた。
GWが終わると、こう遊んでももらえないので、どうにかこうにかボンが可哀想じゃないように、一緒にできる遊びを探そうと、悩んで過ごしてた。

5月6日。
初診より9日目の再診。
胎嚢・卵黄嚢確認が確認できました
IMG_0481_convert_20130612152304.jpg
胎嚢(たいのう)は、赤ちゃんが入る袋。エコーの黒い部分です。
その中の左端にあるリング状のものが卵黄嚢(らんおうのう)で、胎盤が完成するまでの赤ちゃんの栄養源で、赤ちゃんのお弁当と言われるものです。
キレイな卵黄嚢だったから、もしやこのまま妊娠が継続できるかもと思いましたが、先生の『やっぱり1週間から10日ほど遅れてたみたいやね。』の言葉を聞き、どうしてもそんなことはありえないと、気が沈んだ。
初期流産に終わるケースの大多数が、このように周数の割に胎嚢が見えないことから始まり、胎嚢が小さい、卵黄嚢が見えない、心拍が見えない、心拍が弱い・・・とゆうふうにゆっくりゆっくりな進み方をします。
初期流産のモデルコースだな・・・と、思いました。
この日はプリンが入院。
バカ弟のゴタゴタが落ち着かないうちに妊娠、つわりがしんどい頃にプリンちゃんのお世話も重なり、また心身ともに大変でした。

5月7日。
何をするにも体力と気力を振り絞らないとできません。
午前中にヨソの幼稚園のサークルに行きました。
しんどいけど、人と話していると気が紛れます。
この日からプリンちゃんのお見舞い生活は始まり、どんなに辛い日もボンと一緒に出掛けました。
プリンちゃんのお見舞いは6日間続きました。
プリンちゃんが一番しんどいのに、お見舞いに行くのをしんどいとか大変やと思っている自分が凄くイヤでした。

5月9日。
トーマスの映画を観に、西宮まで。
かなり辛かったですが、これも秘かに兄弟の思い出だと思い、頑張りました。

5月10日。
流産する気配はない。
でも世の中には稽留流産とゆうものも存在するので、なんの安心材料にもならない。
稽留流産は出血もなければつわりも進行し、体温も高温のまま妊娠症状が普通に続く為、自覚症状がないのです。
そんなこんなで気は進まなかったのですが、先生に言われた通り、母子手帳を貰いに区役所へ行きました。
123_convert_20130614213852.jpg
心拍も確認してないし、なんかイヤやな・・・て思ったけど、今になって、ちゃんと赤ちゃんのいた証が残ってくれたこと、嬉しく思います。

こうなることが分かっていたから余計に・・・ですが、何か残したくて母子手帳ケースを買い替えました。
12345_convert_20130614213917.jpg

ボンと2人、兄弟用のケース
1234_convert_20130614213904.jpg
いつも一緒に、ずっと一緒に居たいから。。。

5月11日。
つわり本格化。
ジィジがボンを遊びに連れて行ってくれていました。
私はずっと横にならせてもらってたけど、帰ってきたジィジが『どうや~楽できたやろー』と失笑まじりの爆笑だったので、どんなにしんどかったのか想像できました。
有り難い。
当初、オカンにだけ言って、今はオトンは精神的に滅入ってる時やから、オトンには安定期に入るまで言わないでほしいし、流産してもそのまま知らないままにしてあげてほしいと言ったんだけど、オカンはその日にオトンに話してしまっていて・・・
まぁオカンもそれだけ嬉しかったってことなので、何も言いませんでしたが・・・
結果、オトンの助けなしには流産手術さえ安心して行けないところでした。
みんなに辛い思いさせて申し訳ない。

5月12日。
プリンちゃんが退院。
これから通院生活が始まる。
同じく、それを大変だと感じる自分を凄くイヤだった。

5月15日。
前日からボンが発熱し、病院へ。
妊娠しているのに病院で病気を貰いたくないのにと思うと、すごくストレス。
それでも代わりに病院に連れて行けないパパに、怒りが込み上げる。
仕方ないって分かっていても、腹が立つ。
でも、有り難いことにボンは夕方からウソのように元気になった。
なんだったんだろう・・・

5月16日。
児童館開校日。
ごく初期だから妊娠してるって周囲に言えないのに、つわり時期って妊娠後期より辛い。
お腹が目立ち始める妊娠中期以降は、自分から何も言わなくたって周囲の人が気遣ったり手助けをしてくれる。
でも一番しんどい妊娠初期は、言わないと誰にも分かってもらえないから、児童館や他のサークルなどで体遊びや力遊びをみんなでする時、悲しかった。
お腹の大きな人は先生が代わってたけど、私が妊娠初期で辛いことなんか誰にも分からない。
八つ当たり的にムカムカ。。。
もっともっと、もう一回ッと言うボンにも、してやれもしない。
悔しい。。。。。

5月17日。
記事()にもしましたが、買い物帰り、ボンが荷物を持ってくれました
記事には書きませんでしたが、気遣ってくれたかのようなタイミングだったので、嬉しくて涙が出ました。
ボンには、ママのお腹に赤ちゃんがいることをあの手この手で説明してみましたが、まだ全く分かりません。
ボンがママのお腹の中から出てきたことも説明してみましたが、『赤ちゃんちゃうわ』と怒るばかりで話を聞いてくれません。
男のプライドが『赤ちゃんだった』ことを完全否定。
『だった』と言うより、今、ボンが赤ちゃんだと言われているように思うのかも。
そんなだから、赤ちゃんがいるとか分からないと思うんだけど、突然荷物を持ってくれるだなんてことがあったので、ボンはボンで何か感じるものがあったのかな・・・て、すごく嬉しかったです。
だってだって、ボンは赤ちゃんのお兄ちゃんなんだから、何か通じるものがあっても然るべきなのかもしれません。
いつもワンパクなボンの優しさと心遣いが、とっても嬉しかったです

5月19日。
しまじろうコンサート。
日に日にキツくなる吐き気に頭痛、そしてニオイ地獄。
体力が持たず、後半は目を開けていられなかった。
変な感覚だけど、このしんどかった分、二人の子を連れて行った満足感があった。
一緒に行った友達二人が気遣ってくれたので、体調は最悪だったのだけど、いい思い出を作ることができました。
この翌日、赤ちゃんがお腹の中で亡くなっていることを知るのだけど・・・
化学的流産のようにハナから育たなかったのかとの質問に先生は、『心臓は一度は動いていたと思います。何日か前なのか、今日なのかは分かりませんが、ごく近い日に止まったんだと思います。』と言いました。
コンサートの音、お兄ちゃんが歌う声、せめて聞いて過ごしてくれたと思いたいです。

5月20日。
2週間ぶりの診察。
今日で全てが分かることを知っていました。
素人だからエコーの見方はアングルによればよく分からないけど、先生が色んな角度に動かしても、心拍が見えないのは私にもスグ分かった。
でも先生は『赤ちゃんの姿が見えましたよ』と言いました。
そのあと困ってはったので、『心拍がないですね』と私から言いました。
そして診察室に戻り、そのまま流産手術の説明をされました。
やっぱり・・・・・・でした。
最初の診察の日から覚悟していたことだから、5年前のように泣き崩れるショックはありませんでした。
5年前は、こんなことが世の中にあるんだなんて、想像もしないことが突然自分の身に起きました。
でも、今回はたくさんたくさん自分で経験した不妊治療の現場、自分で治療のプランを組みたくて、お医者さんと対等に話したくて勉強した知識があったから、経過を追いながら、こうなることを可能性以上の範囲で考えておかないといけないことがよく分かってた。
ただ予想外だったのは、稽留流産で、掻爬手術が必要となるまで赤ちゃんが頑張ってくれたこと。
5年前は5周0日で完全流産。
典型的な化学的流産でした。
2回目は顕微授精の移植後、妊娠検査薬で薄っすら陽性反応を見ただけで、そのまま普通に生理が始まった、ごくごく初期の、人工的な化学的流産。
今回は9周で、妊娠を知ってから4週間一緒に過ごすことができたし、胎芽(たいが:胎児になる前の赤ちゃん)にまで成長してくれてた。
ちゃんとした受精卵じゃなかった為に、すごくすごく時間をかけて頑張りながら、遅れながらもここまで育ってくれた頑張りやさんでした。
ママの卵子が良くないだけに、生まれてすぐに苦労かけたよね。。。
赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思うけど、私は手術が怖いとか、痛みに対して不安だとか、何も考えなかった。
9周に育つまでの赤ちゃんの苦労を思うと、どうってことないよ、私の手術。
もうお腹の中に居なくなってしまうのが寂しかったけど、早く、ちゃんとしてあげたかった。。。

手術は明々後日。明後日の夜に前処置があるそう。
CIMG2724_convert_20130612152241.jpg
同意書は、明々後日に赤ちゃんがお腹から旅立つチケットのようでした。
離れ離れになってしまうけど、きっとまた迎えにいくからね・・・と、そう言えば、5年前の今頃も、この病院のトイレで、駐車場で、泣いたんだっけ。。。
今日も・・・しばらく駐車場から動けずでした。
またボンを妊娠した時のように、もう1回笑顔で帰ってくることを強く思うと、やっと駐車場から出ることができました。

哀しい思い、辛い思いをしたし、壮絶な不妊治療も経験したけど、今、確かに可愛いボンがいる。
絶対にまた、そんな日がくることを知ってる、経験したから、ちゃんと生きていくよk
私、大丈夫です!!
そっか、そんなことがあったのね、じゃあまた落ち着いたらそのうち妊娠してるかもなのね、、、
ぐらいに思って、どうかお気遣いなく!!
でも、読んでくれた人、、、
私にこの子が居たこと、ボンに弟か妹が居たこと、どうか覚えていてやって下さい



スポンサーサイト
12:05  |  稽留流産  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://ugooma.blog54.fc2.com/tb.php/1148-17494ca6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。