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2013.05/24(Fri)

手術から一日

診察に行ってきました。
次の検査は10日後で、組織検査の結果も出るそう。
それで何もなければ、『今回の妊娠はこれで完了です』と言われました。。。

夕焼けがキレイでした。
IMG_0591_convert_20130615180028.jpg
うそ。
キレイと感じるより、なんか凄く寂しかったです。
この夕焼けを見て、急に赤ちゃんのこと思って悲しくなりました。
お腹も心もカラッポです。

兄弟間のゴタゴタ、プリンの病気、入通院、オカンの入院・・・
ボンとの日々の生活、そして自分の妊娠をベースに、色んなことがあり過ぎた。
オカンが入院するから、2~3日に一度は洗濯物を取り換えに病院に行かないといけない。
なんでも自分でするって言うけど、オトンのことも放っておけないし、実家の家事も放っておけない。
その中で毎日のプリンの通院、ボンもいるし・・・
つわりが重くて体調が最悪の状態で色んなことしないとイケナイ・・・

でも、色んな事の一つだった、赤ちゃんはもういない。

忙しさに感けて、赤ちゃんのことばかりは思っていられなかった。
昨日でさえ、手術の不安より、ボンの預け先のことで頭がイッパイだった。
けど、きっとこうして段々と実感して、段々と寂しく悲しくなっていくんでしょうね。

赤ちゃんのことは絶対に忘れない。

でもね赤ちゃん、、、
ママ、日常に戻ってもいいですか?
次にアナタを迎える環境を整える為に、やらないといけないことがたくさんあるし、生きていかないといけないんです。
お兄ちゃんのお世話もしないといけないんです。
絶対に忘れないし、毎日思うし、絶対に絶対にダッコしに迎えに行くから、ママ、また元気にいつもの生活をしようと思う。

そう、聞いてみた、話してみた、言ってみた。

答えはわかりません。
赤ちゃんに聞いてみたと言って、自分に聞いているんだから。

でも、そうしようと思う。
明日から、また頑張って生きていく!!



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15:23  |  稽留流産  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2013.05/23(Thu)

赤ちゃん、またね。。。

赤ちゃんとのお別れの日がやってきました。
今日もこんなにつわりがしんどいのにね。。。
胎児死亡でも、全てが子宮外に流れ出てしまう完全流産とは違い、胎児が子宮内に留まっている流産なので、絨毛が子宮内に残っていることでhCGが分泌され続けているので、体は妊娠状態を継続しています。
なので体温も高温のまま、頻尿やつわりの症状もそのまま続いています。
『つわりがあるのは赤ちゃんが元気な証拠』とゆう言葉が、なんの根拠もない励ましの言葉であることを知っていましたが、今回身を持って体験しています。
赤ちゃんが元気じゃないのにつわりがあるなんて余計に耐え難いことだけど、もう、今日で最後、、、
最後に赤ちゃんと辛うじてるながっている思いになれるのが、奇しくもこのつわりだけです。


10時35分、病院に到着。
スグに、分娩室の隣の手術室へ案内される。
ボンを生んだ手術室。
手術着に着替えるような身支度はなく、本当に簡単なもの。
手術台に乗り、点滴が始まる。
誰も何も話すことなく、淡々と作業が進められていく様子を・・・
なんの落ち着く時間もなく、めっちゃ早いなと感じながら、考え事をしていた。

毎日命が誕生するこの病院を職場として働いている、職業としている先生や助産師さん、看護師さん。
そんな職場で、今日は流産手術なんてついてないよね。
『取り出した赤ちゃんは、そのあとドコに行くんですか?会えるんですか?』
それを聞きたくて聞きたくて仕方がなかったんだけど、涙なしに聞ける自信がなくて・・・迷ってた。
流産手術を受けにきた患者に、泣きながらそんなこと聞かれたら、どんな気持ちになる?
『病院』の中でも、せっかく命の誕生する職場を選んだのに。
そう思うと、聞けなかった。

そうこうするうちに、『今から麻酔の薬入れますよー。眠たくなってきたら教えて下さいねー。』と言われた。
あまりにも早かった。
悩んでいる間に麻酔薬を入れられることになり、ここで初めて手術への恐怖心が込み上げた。
こわい!!!!!
やっぱりヤメたい!!!!!
もしもこのあと赤ちゃんの心臓が動き出すんやとしたら!?
覚悟から遡り、そんなことまで思った。
そんなことがないのは分かっていたのに。

そして、焦って口をついた。
『取り出した赤ちゃんどうなるの?見れますか?』
左腕の側にいた助産師さんにコッソリ聞いたのに、助産師さんが先生に答えを求めた。
『赤ちゃんは亡くなってから日にちが経っているので溶けてきて血の塊しか分かりません。見ることはできません。』と、先生。
悲しい気持ちでいっぱいなのに、どこかホッとしている自分もあった。
見ない方がいいのか、一目見る責任があるのか、分からなかった。
私は自分の気持ちも分からなかった。
でも一目会いたいと思ったし、できることなら一度ぐらいは触れてみたかったし、触れてあげたかった。
だって、血の塊と言われても、我が子なんだもん。
1ヵ月間の苦しいつわりがあったから、この子がお腹にいることを片時も忘れなかった。
可哀想で・・・見るのがコワイ気持ちもあった。

不妊治療や流産を乗り越えて2児の母になった友人が言葉をかけてくれた。
『初期流産した赤ちゃんは、赤ちゃんではなく受精卵だと解釈するようにしていた』と。
私もその考えには賛成で、自分自身、今までそうして乗り越えてきた。
でも今回は・・・やっぱり・・・一ヵ月つわりもあったし、最後には赤ちゃんの形にまでなってくれたし、一度は心臓も動いていたこの子、そしてボンの弟か妹であるこの子を・・・受精卵だとは思えなかった。
きっと乗り越えたらそう思えるのかもしれないけど、今はまだ。。。
そう思いながらも、その言葉にとても救われていた。

長々書いていますが、ほんの1分ほどの間のことです。
質問に答えたあとの先生が、麻酔薬がどうのこうの言ったけど、眠たくなるってコレのこと?と、思うと同時に、気がついたら助産師さんに『終わりましたよ』と言われた。
助産師さんが、『目を覚まされましたよー』と、先生に報告。
ああ、もう、知らないうちに終わってたんだ。。。
『赤ちゃんは血の塊で、溶けてしまってもう分かりませんでしたからね。』と先生。
そうか。。。。。。。。。。

ボーッとしながら、周りを見回す。
分娩台が見える。
ボンの時、最後には帝王切開になったけど、あの台に乗って何度も何度も触診をされて、めっちゃ痛かったなぁ・・・
もうちょっと頑張ったら普通に生んでやれたのかなぁ・・・と考える。
ボンを沐浴させてたお風呂が見える。
帝王切開の傷が痛むから、腰をかがめたまま力が入れ辛くて、初めての時は見かねた助産師さんに途中で代わられたなぁ・・・
1ヵ月検診の時、ゲップが溜まってお腹が膨れてるって言われて泣いたなぁ・・・
そういえば、ボンを帝王切開で生んだ手術台の上でもあることに気付いた。
その台の上で、今日は流産手術だなんて。。。
時計が目に入る。
ボンが生まれた11時11分にはなってなかった。
ん???
病院に到着したのが10時35分。今、11時5分にもならない・・・ぐらい?
準備に15分ぐらいはかかってた。
眠っていたのは、本当に短い時間だったのね。
あんまりなんにも考えたくないから、寝たかった。
薬の力を借りて、今は寝たいと思った。
なんか、すごく疲れた。。。

そう思っても眠れないまま手術台の上で1時間が過ぎた。
その後、部屋に移された。
パパが、『痛いか?痛いか?』と聞く。
痛かったけど、答えたくなかった。
助産師さんに痛みがあるかと聞かれ、凄く痛いと答えた。
掻爬手術の字の通り、正に掻き出された鈍痛だった。
座薬を入れてくれました。
助産師さんが、『麻酔で体温が下がっていますので、暑いですが部屋を冷やさないで下さい。』と、パパに説明していたのが聞こえた。
確かに私は暑くなかったけど、寒いと申告した足元を助産師さんが暖かくしてくれてたおかげで、もう寒くもなくなっていた。
言われてみえば、蒸し暑くなってきた気もする。
酷く喉が乾いていて、どうしても眠れそうになかったので、パパの『喉乾いてないか?』を無視できなかった。
パパが先生に聞きに行ってくれて、お茶を飲ませてもらう。
『30度近くあんねんけど、暑ないか?』とパパ。
パパもしんどいやろうし、暑いんやろうし、悪いけど居てもらう必要はないし、どっちかって言ったら一人で居たいし・・・で、出て行ってもらった。

実はボンが近くの公園でジィジと遊んでるんです。
タイミングが悪いですが、バァバが今朝から入院したんです。
ボンを預けられるのがジィジしか居なくて・・・
それで、ココに居るよりボンの所に行って一緒に遊んでんあげてほしいな・・・って。
出て行く前に窓を開けてくれました。
風が心地良かった。。。

参考に読み漁ったカキコミやブログには、ダンナさんに付き添ってもらって悲しみを分かち合った夫婦が多く書かれていましたが、ウチはそんなキレイな話ではなかったです。
なんとなく一緒にいたくなかったです。
それに、どんな時でも、こんな時でも、子供がいるから子供が中心。
何があっても、夫婦二人でゆっくりはしていられなかった。。。

やっぱり眠れずしばらくボーっとしていた。
心地いい風に当たりながら、ミルクの甘い匂い、赤ちゃんの泣き声、懐かしい雰囲気をぼんやり感じていました。
そうしていると助産師さんが来て、一緒にトイレに行ってみましょう、歩けたら帰宅できます・・・て、ホンマに早いね。
その時に、黙っていた私に助産師さんから話しかけてくれました。
『赤ちゃんがどうなるのかって気にされてましたけど、赤ちゃんは組織検査に出されるんですよ。異常がなかったかどうかココでは検査できないので、専門の機関に引き取られて検査をされます。赤ちゃんと言っても膜に包まれた小さな塊で、見てもあんまりよく分からないんですよ。残念ながらお見せすることはできないんです。ごめんなさいね。』と、とても優しく、穏やかに。。。
先生あんなこと言ってたけど、赤ちゃん見えたんやん。。。
教えてくれて嬉しかった。
助産師さんは同じ女性だから、私の気持ちが分かってコッソリ教えてくれたのですね。
そんな助産師さんに、ちゃんと供養はするのかとか、それ以上聞いて困らせることはできなかった。
し、聞けて納得できた。
手元に戻らなくても、供養は私がすればいいんだから。
それに膜に包まれて赤ちゃん・・・いたんだね。。。
膜って胎嚢?
分からないけど、溶けてしまわないで、ちゃんと膜に包まれてたんだね。
それを知れただけでも良かった。
教えてもらえて、本当に感謝。

そして病院を後にします。

なんか、やけにお腹が減ってた。
昨日まで、稽留流産の掻爬手術を受けた人のカキコミやブログを参考にたくさん読ませてもらいましたが、たくさんの人が書いてあった。
『悲しくてもお腹は減る』
本当にそうだった。
2時間前に辛くて悲しい手術を終えたばかり。
ホンマならしばらく食欲もなくてもおかしくないやろうに、お腹が・・・めちゃくちゃ減ってたんです。
赤ちゃんは生きられなかったけど、私は生きてるんやなって・・・実感。
だから悲しんでばっかりいられないって、痛感しました。

駐車場で待っていると、ボンが走ってきました。
『ママーおかえりーハ』て。
ボンの笑顔見たら、余計にお腹減ったーって。
もう手術も終わったんだから、ボンの母に戻らないとと、強く思いました。
赤ちゃんのことは残念だったけど、今はまだもう少し、ボンと思いっきり遊んでやる時期なんだと思い、また頑張っていきます。

そして・・・
術後の私は、不思議なほど体調がいいんです。
それは、何もなく無事に手術が済み、体に異常がないという意味ではなく、本当の意味で体調が良好だった。
しんどい時や痛い時は色々思っても、体調がいい時って、普段はわざわざ今日は体調がいいなんて思いもしないけど、今日は体の底から、心の底から、体調の良さを感じてた。
それがとても寂しかったし、イヤだった。
こんな日は寝込んでいたいのに、つい溜まった家事をしてしまいたいぐらい体が軽くて元気だった。
それほど妊娠がしんどかったとゆうことなんだろうけど、こんな時に体調の良さをひしひしと感じるのが凄くイヤだった。

夕方、ボンとパパと、庭で座る元気もあった。
ボンと鯉のぼりを見てた。
CIMG2732_convert_20130616095457.jpg
赤ちゃんが男の子だったら、小さい緑の鯉のぼり、女の子だったらオレンジの鯉のぼりが増えるのか~
赤ちゃんが男の子だったら、吹き流しにボンの名前が入ってるから、買い直してダブルネームにしないとアカンね~
女の子が生まれて、立派なお雛様を買うのもいいなぁ・・・
この一ヵ月、鯉のぼりを見て何度そう思ったか。。。
初診の日から覚悟してたけど、私はしっかり赤ちゃんに期待してたんだね。

昼間は暑かったのに、夕方から急に冷えて、秋みたいな空気だった。
CIMG2730_convert_20130616095406.jpg
また3人家族に戻ってしまったけど、鯉のぼりのように元気に気持ちよさそうに泳いでいかないとね。
いつか鯉のぼりが、もう一匹増える日まで、それまではまた3人で頑張っていきます!!

赤ちゃん、ちゃんと生んであげられなくてごめんね。
それでもココに来てくれてありがとう。
また、、、ね。。。



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2013.05/22(Wed)

お兄ちゃん、またね。

『ママ、赤ちゃん欲しかったの?』

ボンは、自分の赤ちゃんの時の写真を見て、絶対に自分だと認めないんです。
自分は赤ちゃんじゃない、お兄ちゃんだ!という、男のプライドの表れなんだと思います。
これまでにボンには、最初は赤ちゃんだったことや、ママのお腹の中から出てきたことなど、写真など見せながら頑張って説明してきましたが、どうしても『赤ちゃんちゃう』って怒られちゃうばかりで、なかなか分かってもらえませんでした。
今回の妊娠が分かってからも、たまごクラブなどの分かりやすい絵や写真を見せながら、ママのお腹には赤ちゃんが入っていることを一生懸命説明してみたんだけど、それはそれで、『ママ、お腹、赤ちゃん出てきたの?』と、トンチンカンになってしまう。

そんなだったのに、なんで今日、そんな的を得た言葉を発したのかと・・・
ビックリしたと言うか、ゾクッとしたと言うか、嬉しかったと言うか、悲しかったと言うか・・・
どう表現していいか分からないけど、凄く凄く、不思議な感覚だった。
でも、、、
『うん、ほしかったよ』て、自然に穏やかに答えてた。
すると、『ボクもほしかったなぁ』て、言ってくれた。
道理は理解できていなくても、何かお腹の赤ちゃんと通じるものがあったんだと、思いたい。
お兄ちゃんにサヨナラを言ってくれたのだと、思いたい気持ちです。



夜、病院に行きました。
明日の手術に備え、前処置を行う為です。
だけど、前回先生もおっしゃったのだけど、『もう一度エコーでよく確認して、それでも赤ちゃんの心拍がなかったら手術の為の処置を行いますから、まずは確認してみてからです。』
心拍が見えないのは分かってるし、今更見えたところで生まれられるまでに育つことのできない命だと、ちゃんと分かっています。
でも、だからって、受付に出した母子手帳・・・・・
『もう今日は要りませんので』って返した受付の人の対応、悲しかった。
『まだ確認してへんやろ!流産手術しに来たんちゃうんじゃ!!』て、怒鳴りつけてやりたかったけど、どのみち流産していて惨めな思いをするのは自分だから、腹立たしさを排除する為に努力をした。
診察が終わってから、会計の段階で黙って返してもいいんじゃないですか?
もう要りませんって言う必要あんのか?
今日、今からエコーで確認するまで、胎児の死亡は確定されていないのに、なんで母子手帳を突き返される?

勝手に殺さんとってよ!!!

でも、受付の人は間違っていない。。。
赤ちゃんは、間違いなく死んでた。。。

その場で、前処置が始まる。
子宮頸部を広げる為、ラミセルという器具が入れられる。
数秒のことだけど、歯を食いしばり、冷や汗が出るような痛み有り。
これは綿棒ほどの細い器具で、明日にはボールペンほどに膨張するので、痛みを伴うそうです。

赤ちゃんはもう生きていないし、奇跡も起こらないけど、分かってるけど、もしももう赤ちゃんの死亡が間違いだったとしても、もうこの前処置が済んだ時点で、本当にもう生まれてこられないんだと、、、思った。

そして0時頃、多めの出血。
座っていたけど、ドバッと出るのが分かった。
鮮血だった。
ラミセル越しの出血なせいか、その後は細かい泡状の鮮血が続いた。
凄く・・・怖かった。
でも、止めようもなかったし、どうしようもなかった。
何か異常のある出血なんじゃない、当たり前の出血なんだろうから。

私の卵子が出来損ないだったから、赤ちゃんは苦労しただろうね。
でも出来損ないの卵子に宿りながらも、普通より日にちをかけてかけてかけてかけて、なんとか赤ちゃんの形になるまで分裂を繰り返し、一度は心臓も動かしてくれた。
凄く頑張ってくれたよね。
昨日は、もう赤ちゃんは一緒には頑張っていない・・・て書いたけど、一緒じゃないかもしれないけど、続きは私が頑張らないとね。
怖い、痛い、辛い、悲しい、、、でも、赤ちゃんが頑張ってくれた続き、ちゃんと責任持ってママが頑張るね。

それは明日の手術で終わりなんじゃない。
いつかちゃんと、あなたを生む日まで。。。



01:08  |  稽留流産  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2013.05/21(Tue)

流産宣告から一夜

朝、トイレに行くと、褐色のおりものが出てた。
幸い出血はなかったんだけど、昨日、病院で先生に言われたことが頭をよぎる。

人によっては読みづらい表現があるので、気分を害すると思われる方は読まないで下さい。






昨日、先生に言われたこと。
『このままにしておくと、いずれは出血してきます。そんな時は慌てる必要はありません。出たものをビニールの袋に入れて、冷蔵庫に保管して、翌朝持って来てください。出たものを観て、手術をしないで完全な流産を確認する場合もあります。』

言っていることは分かります。
『出てくるもの』は、本やネットにも『内容物』とゆう表現で書かれてあるけど、内容物なんかじゃない。
私の赤ちゃんだし、ボンの弟か妹なんです。
どんな姿で出てくるの?
ちゃんと袋に入れられる状況で出てくるの?
心臓が止まった瞬間から赤ちゃんは溶けていくってゆうけど、ちゃんとしてあげられる状態で出てくるの?

流れ出てしまったボンの弟か妹を・・・
拾い集めて袋に入れることを想像した・・・・・・・

地獄だったし、孤独だった。
赤ちゃんはもう一緒に頑張っていないし、今、誰に言えることでもないから。



夜、、、強めの目まいと共に、下腹部痛、そして出血。
いよいよ、出血が始まった。
朝から恐れていたことが、始まろうとしている・・・と、腹をくくった。
明日の夜の診察で、『あれ?心臓が動いてる!!』なんてことがあるかもしれない・・・とか、まだそんなことを思っていたけど・・・
本当にもうお腹の中で死んでしまっていたんだと、初めて実感した。

昨日は落ち着いて事実を受けとめていたけど、なんだか今日はやさぐれてた。
でも、これでいいんだ。
私はボンのお母さんだけど、同じように死んでしまったこの子のお母さんでもあるんです。
冷静に、正気でなんていられるはずがない。
我が子を亡くしたんだから、感情的になったっていい。

でもそれを・・・本当に誰にも言うことができないのが辛かった。
私が優しい人に恵まれているからです。
どうでもいい人になら言えただろうけど、私のこれを聞いた相手のことを考えると・・・
本当に誰にも言えないと、物凄い孤独感だった。
でもそれだけ私は幸せな境遇にいたんですね。。。


そして・・・
恐れていたけど、結局、そのまま流れてしまうことはなく、出血は止まりました。
出血して全て自然に流れてしまった方が手術でまた辛い思いをしなくて良かったのかな・・・とも思ったけど、赤ちゃんがドコに行ったのか分からないのでは可哀想だから・・・やっぱり手術で赤ちゃんもキレイにしてもらった方がいい。

そう言えば・・・
取り出した私の赤ちゃんはドコに行くのでしょう?
どうなるんやろう・・・?
返してはもらえないのよねぇ・・・
そればかり、考えていました。



11:05  |  稽留流産  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2013.05/20(Mon)

稽留流産

実は、妊娠していました。
タイトルの通り、残念ながら繋留(けいりゅう)流産です。
稽留流産とは、お腹の中で赤ちゃんが死亡したまま、流れ出ずに子宮内に留まっている流産をいいます。
掻爬(そうは)手術といって、字の通り、子宮から赤ちゃんやそれに付帯する絨毛などの組織を掻き出す手術が必要です。

自身、2度目の自然妊娠、不妊治療中を含むと3度目の流産、初めての繋留流産です。
そろそろ2人目をと考えていて、今は自然に任せてみて、それで妊娠できなかったら秋頃から不妊治療に通おうか・・・と、ダメモトでチャレンジしてみて、なんと2ヵ月目のことでした。
でも、妊娠に気づくのは少し遅かったんです。
生理不順にはあまり縁なく、昔から順調だったのですが、この半年の間に変な生理が4回あったんです。
10月11月12月と、予定日に生理は始まるけど、2日間で出血が止まり、1週間後に続きが始まって4~5日で終わるとゆう、変な生理。
1月は普通にきて、2月はまた1週間の中休みのある変な生理。
そして3月は16日に始まり、普通に終わった。
子宮頸がんとかかなぁ・・・と、検診に行くつもりでいました。
が、4月中旬頃から、体がカッカして火照って火照って暑いのなんの
普段は熱いものや辛いものを食べても汗ばみもしないのに、なんか汗が出る出る
体が、なんかおかしい。。。
それもそうで、4月は少し早く、12日に生理が始まった。
そして2日間で終わったけど、1週間経っても続きが始まらなかった。
変な生理、それにこの異常な熱さ・・・もしかして、更年期l
いや、きっとそうに違いない。
とにかく病院に行かなくては・・・と、思って過ごしていたのです。

そして異変に気付いたのは4月25日。
横浜でストロベリーブッフェの時()に、食べたい気持ちに食が全く伴わなくておかしな感じがしたことで、もしや・・・と、思った。
その夜、温泉からの帰り、オカンに更年期かもと打ち明けながらも、胃を手で揉まれるようなムカムカ感があったけど、きっと2日間に渡る暴食のせいだと・・・
でもなんか、まるでつわりっぽい・・・と思った。

翌朝、4月26日。
そんな訳ないよな・・・の気持ちで、古いけど家にあったボンの時の妊娠検査薬を試してみる。
なんと、バッチリ陽性
暑いのは更年期じゃなくて高温期やったんやと納得。
12日から2日間の出血は、着床出血、または生理様出血とゆうやつだったのかな。
でも、心拍を確認するまでは手放しで喜ぶなんてことはできなかった。
卵質の悪い私が自然妊娠した赤ちゃん・・・ちゃんと育つだろうか
不安は大きかったけど、凄く嬉しかったト

4月27日。
ボンを出産した産院に妊娠判定に行った。
まさかの・・・・・
この産院にて2度目の『妊娠されていますが胎嚢がまだ見えません。』
5年前の5月と同じだった。
でも私は5年前の私ではなかった。
先月の生理が16日に始まっているので、この日で既に5周目最終日。
心拍はまだ微妙な頃にしても、胎嚢は見えないとチョット先々が危ういケースが多い。
そんなことから、この日から覚悟していたんです。
先生は、排卵が1週間から10日ほど遅れていたんでしょうと言ったのですが、体温も測らず、排卵検査もせず、自分の体の感覚だけで『今日っぽい』と思った日とその2日後にチャレンジしただけなので、排卵が1週間も遅れていたとしたら、そもそも妊娠できた可能性があったのかどうかさえ疑問。
5年前のように、突然出血して流れてしまうんだろうな・・・
また化学的流産に終わるんだろうな・・・と、この日、覚悟しました。
それでもつわりは始まっていて、ボンの食べているおにぎりせんべいのニオイにムカムカ。
つわりはしんどいけど、一緒に過ごす時間が短いかもしれない赤ちゃんが、今送ってくれている数少ないサインの一つなので、愛しく受け止めて頑張っていこうと思いました。

4月28日。
つわりが更にキツく。。。
パパとJJがボンをしあわせの村に連れて行ってくれていたので、その間ゆっくり横になることができた。
そして私にはまずやらなければならないことがあった。
ボンの卒乳。 
先日、断乳の様子()を記事にしましたが、実はこの妊娠の為だったんです。
もうすぐ1ヵ月になろうとしますが、卒乳できたようです。
この断乳を皮切りに、ボンには我慢させることばっかりでした。
毎日のように遊びに行くこともできなくなったし、来年3月までのベビースイミングも一緒に入ってあげられない。
ボンはいつも飛び乗ってきたりするので、走って突進してきただけでも物凄く怒鳴ったり、そうしたら叩かれるって覚えさせようと、叩いてやめさせようとしたり。
今思うと、こんな怒ってばっかりのママのところに赤ちゃんは生まれたくなかったのかもしれないなぁ・・・って。
それに、妊娠したことでボンのお世話や遊びが制限されて、ボンが可哀想可哀想って、そればっかりで。
流産に終わる予感があっただけに、赤ちゃんの誕生を喜ぶよりもっと、ボンにゴメンねって思ってた気持ちの方が強かったように思う。。。

4月29日。
ウチのジィバァがボンを公園に連れだしてくれたので、今日も助かりました。
ボンの元気が、手に負えなくなってきて申し訳なくて、本当に心身ともに辛い。

4月30日。
午前中は幼稚園だったけど、朝から雨だから、今日はどのみちお外遊びはできない。
天気がいいと、天気がいいのに外で遊んでやれない自分を責め、家の中で遊んでいるボンを見て申し訳なくなっていたから、行きたくても外に行けないこんな雨の日は、なにか凄く自分に安心した。

5月1日。
気力を振り絞り、大阪までトミカ博へ。
ここ最近の罪滅ぼしの思いでした。

4月4日。
少し出血あり。
とうとうキタのかと思ったけど、ほんの少しだった。
そりゃあ、できることならちゃんと生まれてほしいけど、妊娠学的に厳しいと思っていたので、流産したくない反面で、いつ始まるのかと、トイレに行くたび冷や冷やというよりは、まだ大丈夫まだ大丈夫と、いずれ出血するのを待っていた感じもありました。

5月5日。
ジィジと甥ニィがボンをしあわせの村へ連れて行ってくれた。
GWが終わると、こう遊んでももらえないので、どうにかこうにかボンが可哀想じゃないように、一緒にできる遊びを探そうと、悩んで過ごしてた。

5月6日。
初診より9日目の再診。
胎嚢・卵黄嚢確認が確認できました
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胎嚢(たいのう)は、赤ちゃんが入る袋。エコーの黒い部分です。
その中の左端にあるリング状のものが卵黄嚢(らんおうのう)で、胎盤が完成するまでの赤ちゃんの栄養源で、赤ちゃんのお弁当と言われるものです。
キレイな卵黄嚢だったから、もしやこのまま妊娠が継続できるかもと思いましたが、先生の『やっぱり1週間から10日ほど遅れてたみたいやね。』の言葉を聞き、どうしてもそんなことはありえないと、気が沈んだ。
初期流産に終わるケースの大多数が、このように周数の割に胎嚢が見えないことから始まり、胎嚢が小さい、卵黄嚢が見えない、心拍が見えない、心拍が弱い・・・とゆうふうにゆっくりゆっくりな進み方をします。
初期流産のモデルコースだな・・・と、思いました。
この日はプリンが入院。
バカ弟のゴタゴタが落ち着かないうちに妊娠、つわりがしんどい頃にプリンちゃんのお世話も重なり、また心身ともに大変でした。

5月7日。
何をするにも体力と気力を振り絞らないとできません。
午前中にヨソの幼稚園のサークルに行きました。
しんどいけど、人と話していると気が紛れます。
この日からプリンちゃんのお見舞い生活は始まり、どんなに辛い日もボンと一緒に出掛けました。
プリンちゃんのお見舞いは6日間続きました。
プリンちゃんが一番しんどいのに、お見舞いに行くのをしんどいとか大変やと思っている自分が凄くイヤでした。

5月9日。
トーマスの映画を観に、西宮まで。
かなり辛かったですが、これも秘かに兄弟の思い出だと思い、頑張りました。

5月10日。
流産する気配はない。
でも世の中には稽留流産とゆうものも存在するので、なんの安心材料にもならない。
稽留流産は出血もなければつわりも進行し、体温も高温のまま妊娠症状が普通に続く為、自覚症状がないのです。
そんなこんなで気は進まなかったのですが、先生に言われた通り、母子手帳を貰いに区役所へ行きました。
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心拍も確認してないし、なんかイヤやな・・・て思ったけど、今になって、ちゃんと赤ちゃんのいた証が残ってくれたこと、嬉しく思います。

こうなることが分かっていたから余計に・・・ですが、何か残したくて母子手帳ケースを買い替えました。
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ボンと2人、兄弟用のケース
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いつも一緒に、ずっと一緒に居たいから。。。

5月11日。
つわり本格化。
ジィジがボンを遊びに連れて行ってくれていました。
私はずっと横にならせてもらってたけど、帰ってきたジィジが『どうや~楽できたやろー』と失笑まじりの爆笑だったので、どんなにしんどかったのか想像できました。
有り難い。
当初、オカンにだけ言って、今はオトンは精神的に滅入ってる時やから、オトンには安定期に入るまで言わないでほしいし、流産してもそのまま知らないままにしてあげてほしいと言ったんだけど、オカンはその日にオトンに話してしまっていて・・・
まぁオカンもそれだけ嬉しかったってことなので、何も言いませんでしたが・・・
結果、オトンの助けなしには流産手術さえ安心して行けないところでした。
みんなに辛い思いさせて申し訳ない。

5月12日。
プリンちゃんが退院。
これから通院生活が始まる。
同じく、それを大変だと感じる自分を凄くイヤだった。

5月15日。
前日からボンが発熱し、病院へ。
妊娠しているのに病院で病気を貰いたくないのにと思うと、すごくストレス。
それでも代わりに病院に連れて行けないパパに、怒りが込み上げる。
仕方ないって分かっていても、腹が立つ。
でも、有り難いことにボンは夕方からウソのように元気になった。
なんだったんだろう・・・

5月16日。
児童館開校日。
ごく初期だから妊娠してるって周囲に言えないのに、つわり時期って妊娠後期より辛い。
お腹が目立ち始める妊娠中期以降は、自分から何も言わなくたって周囲の人が気遣ったり手助けをしてくれる。
でも一番しんどい妊娠初期は、言わないと誰にも分かってもらえないから、児童館や他のサークルなどで体遊びや力遊びをみんなでする時、悲しかった。
お腹の大きな人は先生が代わってたけど、私が妊娠初期で辛いことなんか誰にも分からない。
八つ当たり的にムカムカ。。。
もっともっと、もう一回ッと言うボンにも、してやれもしない。
悔しい。。。。。

5月17日。
記事()にもしましたが、買い物帰り、ボンが荷物を持ってくれました
記事には書きませんでしたが、気遣ってくれたかのようなタイミングだったので、嬉しくて涙が出ました。
ボンには、ママのお腹に赤ちゃんがいることをあの手この手で説明してみましたが、まだ全く分かりません。
ボンがママのお腹の中から出てきたことも説明してみましたが、『赤ちゃんちゃうわ』と怒るばかりで話を聞いてくれません。
男のプライドが『赤ちゃんだった』ことを完全否定。
『だった』と言うより、今、ボンが赤ちゃんだと言われているように思うのかも。
そんなだから、赤ちゃんがいるとか分からないと思うんだけど、突然荷物を持ってくれるだなんてことがあったので、ボンはボンで何か感じるものがあったのかな・・・て、すごく嬉しかったです。
だってだって、ボンは赤ちゃんのお兄ちゃんなんだから、何か通じるものがあっても然るべきなのかもしれません。
いつもワンパクなボンの優しさと心遣いが、とっても嬉しかったです

5月19日。
しまじろうコンサート。
日に日にキツくなる吐き気に頭痛、そしてニオイ地獄。
体力が持たず、後半は目を開けていられなかった。
変な感覚だけど、このしんどかった分、二人の子を連れて行った満足感があった。
一緒に行った友達二人が気遣ってくれたので、体調は最悪だったのだけど、いい思い出を作ることができました。
この翌日、赤ちゃんがお腹の中で亡くなっていることを知るのだけど・・・
化学的流産のようにハナから育たなかったのかとの質問に先生は、『心臓は一度は動いていたと思います。何日か前なのか、今日なのかは分かりませんが、ごく近い日に止まったんだと思います。』と言いました。
コンサートの音、お兄ちゃんが歌う声、せめて聞いて過ごしてくれたと思いたいです。

5月20日。
2週間ぶりの診察。
今日で全てが分かることを知っていました。
素人だからエコーの見方はアングルによればよく分からないけど、先生が色んな角度に動かしても、心拍が見えないのは私にもスグ分かった。
でも先生は『赤ちゃんの姿が見えましたよ』と言いました。
そのあと困ってはったので、『心拍がないですね』と私から言いました。
そして診察室に戻り、そのまま流産手術の説明をされました。
やっぱり・・・・・・でした。
最初の診察の日から覚悟していたことだから、5年前のように泣き崩れるショックはありませんでした。
5年前は、こんなことが世の中にあるんだなんて、想像もしないことが突然自分の身に起きました。
でも、今回はたくさんたくさん自分で経験した不妊治療の現場、自分で治療のプランを組みたくて、お医者さんと対等に話したくて勉強した知識があったから、経過を追いながら、こうなることを可能性以上の範囲で考えておかないといけないことがよく分かってた。
ただ予想外だったのは、稽留流産で、掻爬手術が必要となるまで赤ちゃんが頑張ってくれたこと。
5年前は5周0日で完全流産。
典型的な化学的流産でした。
2回目は顕微授精の移植後、妊娠検査薬で薄っすら陽性反応を見ただけで、そのまま普通に生理が始まった、ごくごく初期の、人工的な化学的流産。
今回は9周で、妊娠を知ってから4週間一緒に過ごすことができたし、胎芽(たいが:胎児になる前の赤ちゃん)にまで成長してくれてた。
ちゃんとした受精卵じゃなかった為に、すごくすごく時間をかけて頑張りながら、遅れながらもここまで育ってくれた頑張りやさんでした。
ママの卵子が良くないだけに、生まれてすぐに苦労かけたよね。。。
赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思うけど、私は手術が怖いとか、痛みに対して不安だとか、何も考えなかった。
9周に育つまでの赤ちゃんの苦労を思うと、どうってことないよ、私の手術。
もうお腹の中に居なくなってしまうのが寂しかったけど、早く、ちゃんとしてあげたかった。。。

手術は明々後日。明後日の夜に前処置があるそう。
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同意書は、明々後日に赤ちゃんがお腹から旅立つチケットのようでした。
離れ離れになってしまうけど、きっとまた迎えにいくからね・・・と、そう言えば、5年前の今頃も、この病院のトイレで、駐車場で、泣いたんだっけ。。。
今日も・・・しばらく駐車場から動けずでした。
またボンを妊娠した時のように、もう1回笑顔で帰ってくることを強く思うと、やっと駐車場から出ることができました。

哀しい思い、辛い思いをしたし、壮絶な不妊治療も経験したけど、今、確かに可愛いボンがいる。
絶対にまた、そんな日がくることを知ってる、経験したから、ちゃんと生きていくよk
私、大丈夫です!!
そっか、そんなことがあったのね、じゃあまた落ち着いたらそのうち妊娠してるかもなのね、、、
ぐらいに思って、どうかお気遣いなく!!
でも、読んでくれた人、、、
私にこの子が居たこと、ボンに弟か妹が居たこと、どうか覚えていてやって下さい



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